世の中、ブログというものが流行っているので、みなさま書いているだろう。そして疑問。
みなさま、やっぱりその、ブログのフォームに直書きしている、のかな? 別の場所にいわゆる下書きして、添削推敲して、ブログに載せる、なんて面倒なことをしてる人は、あまりいないだろうか。直感で書いて記録していく、それがブログの手軽さだろうしなあ・・・私は、直書きしておいて、う〜んと手直しすることが多いので、みなさまどうなんだろう・・・
まあそれは関係ないんですが。
昨日、バイトが終ったら田舎にいる親からメールが入っていて、数日前から具合が悪そうだった飼い猫が、外出からから帰ったら死んでいた、とあった。哀しくて泣いちゃったよ、と。
もちろん瞬間哀しくて。
でもそれは頭。
なぜって、それは、その子と私は入れ違いで、地元で一緒に過していないから。
それこそ盆と正月、田舎に帰ったときにしか会わない子だったから。
それでも、元々野良上がりのその“もこ”が、我が家に、渋々ながらも居着くようになり、そのうち子供を産み、その子供の“もも”という子との2匹が、私が盆と正月帰ったら、忘れてもなくちゃんと迎えてくれたんだ。
野良上がりだから、よりどころは我が家にしていても、人間には完全にはなつかなかった。子供のももは、我が家の2階で生まれたから、生まれながらにして、人間の目や温度に慣れていったのだと思う。もこは、どうしても最終ラインで人間に寄らない。そんな感じがした。
それでも、年を追うごとに、その人間に対する避ける度合いが緩くなってる気がした。追い払うのすら年で面倒だ、とでもいうような。でも、けして人間を、私たちを避けているのではなく。
我が家は、小さい頃から猫が絶えたことがない。ずっと飼い続けている。
私や弟がいた頃はもちろん、私たちが飼いたかったから、ではあるが、なんだかんだ言っても、ご飯代が大変であっても、親たちにだって、あの子たちの存在はかなりのものだったはずだ。
子供が出たあとの親たちの世代で、ペットが死んだりすると、相当な喪失感を感じたりするとかなんとかいう・・・?
・・・かどうかはともかく。
あの子たちに誰より餌を与え、可愛がっていたのは母親だと思う。
それを想う。
もこ、元気でね。我が家の子たちは、先輩がまだいるから、さ!
私の大好きだったやんちゃたちがさ。