日記を読み返していて思ったこと。
電車でいちゃつくカップルを羨ましいと思うことは、その行動そのものを羨むのではなく。
そうして、私みたいなやつが見ている前で、それを気にせずそうしていられるその人が羨ましいのだ、と思った。
人が見ているということ < 好きな人への気持ち
な状態なのが羨ましいのと、その状態で周りが見えていないのであれば、それはそれでいいし、見えていたとしたら、平気でいられる心が羨ましい、のではないか、と思ったのだ。
昨日バイトしながら思ったこと。
人がどうでも。人が自分のことをこう思っているんじゃないだろうか、と思えてしまったとしても。それでがっかりしそうでも。嫌な気分になりそうでも。
私自身は、私に胸を張っていよう。
胸を張って、精一杯出来ることをしていよう、またそう努力していよう。
自分が仕事が出来ないことは事実であり、それが今までの実績というものだから、そのことを感じたとしても、今はどうしようもない。そのことだけで、勝手にどんよりして今の気分を乱すことこそマイナスで、それよりは今現在の自分を認めて分かって、きちんとその時点での力量の自分で頑張ることじゃないの?
と思ったのだ。
これって前向きだと思う。
頑張れ自分。そう思った。
やっと、やっと本気で下から上へ、向いたような気がする。
自分を許せ。そして上を向け。それだけでいい。
友人が貸してくれた小説「永遠の仔」の影響だろうか。
浸透するのに時間がかかる奴だ。読んで何日経つよ。
何よりいらいらするのは、自由にならない自分の心だったのだ。
おかんでもない、他人でもない。
持て余していた、自分の心。
おお、大きな発見だ。(今更?)