はじめまして、わみです

劇団東京トライアングル所属、和田和美@わみの個人ブログです!

ばなな

好きな作家は吉本ばななさん。
読んでいると、自分が透き通るような感じがする。
そのときだけだけど、そういう、透き通った目で物事を見られるようになってる気がする。
そのときだけ、ね。

あの文体に癒されるような。
基本的に一人称で書いてあるから、主人公と錯覚するのね、自分の感覚が。
小説って説明の繰り返しで、つまりは全てを文章で表さなきゃいけないもの、当たり前なんだけど、だから作家ってすごいなあ、って思うけど、形容してある表現が何だかぴったりマッチする、というか。女性的な表現だなあ、という気がする。漢字じゃなくてひらがなの表現、というか。まるいんだ。それが、感覚的になんだかよく理解できる。

すごいなあ、こんな表現。
とよく思う。
で、小説を読んでいると、その間だけ、自分もそういう目で世の中を見ているような気になるから、いい。

読み終わって、ちょっとTVのニュースでもみたら、あっという間に「私」に戻ってしまうんだけどね。



日記って、昔から書いてて。
書き始めは小学生で、大学ノートに書き始めた。基本的に、毎日書こう、とは思っていない日記だったので、書きたい時に書く日記、だった。人に何でもかんでも話すタイプではなかったので、親にもあまり話をしない子だったので、ストレスや愚痴は全部日記にぶちまけてた。だから、そういうものが溜まってるときは毎日いっぱい書くし、ないときは書いてないし。そんな日記。

実は、今もある。
大きくなると色々なところに色々な文章を書き散らすようになったから、(ここもそうだし)、進みこそ遅いけど、時としてキーを打つのではなく、自分の文字でそのときの気持ちを書き記したいときがある。そんなときには、ノートを開く。子供の頃の比でなく、書く進度は遅くなったので(あちこちに書くから)、ノートはなかなか進まないけど。この頃では1冊のノートを終わらすのに数年かかってる。こないだ見てびっくりした。
ちなみに、今のノートは52冊目だ。
このノートがなくなることは、特にないと思う。
PCにもネットにも書いてても、やっぱり、紙にペンで書きたいときはある。
そのときの気持ち・心理状態が、字に現れるから、振り返ると面白いんだ。
私はそうやってよく、過去の自分を振り返ってしまう。

そうだ、刻んだ過去だけが過去だと思い込まないようにしよう。
たまたま書いた日がその日だけど、書いてない日々の思いもあって。
なかには、何も書いてない1年もあったりする。その間は何してたっけ?自分、と思う。何考えてただろう、自分・・・。って、わからなくなる。
未来に、振り返るために、書いてるわけではないんだけど。そのときはああ書きたい、って思うからなんだけど。自分の通った道を時々振り返って確認して、今の自分が出来た道をわかりたい、のかな、って思う。闇雲に過去を振り返ってるんじゃなくて、自己確認なのね。多分。

私が書く文章なんて、自分のためでしかないんだよなあ。と、思う。
そんなものをこうしてネットに乗せているんだけど。
ネットの世界なんて膨大な闇で、書き捨てられた文章なんて無限大にありそうで、だからいいか、と気安い気持ちで書くけど。でも、これはノートじゃなくて、誰かが見てるんだよなあ。それでも日記、ブログだから、と思って書くけど、他のコンテンツは、やっぱり公開されてる場所に書く以上、自分のためだけの文章ではいけないんだよなあ、と思う。

まあ、大して内容のないHPだけどね。文章も大してないし。
私はせっかちだから、早く結果が見たくて、色々省略してしまいがち。
文章も、書き始めてすぐ結果、みたいなものになっちゃう。その途中を自分の言葉で説明することこそが文章を書く意味ではないの?問題提起と結果報告だけじゃあ、ただのレポートの1枚目と終わりのページだね。

こころにあるもやもやを目に見えるカタチにする方法。
音楽。絵。文字。
どれもむずかしい道だね。
でもそれをしたくなるのが人間なのかね。